センターニュースびわ湖みらい第43号

びわ湖視点論点

ネイチャーポジティブ社会の実現に向けて私たち一人一人ができること

 近年、ネイチャーポジティブ(Nature Positive:自然再興)という言葉を良く聞くようになってきました。ネイチャーポジティブとは、人類存続の基盤としての健全な生態系を確保し、持続可能な自然と共生する世界を実現するため、2030年までに生物多様性の損失を止め、回復させる理念を指します。この理念を達成するため、生物多様性国家戦略2023-2030では、希少種の保護や外来種の駆除など生態系の健全性の回復だけでなく、ネイチャーポジティブ経済(自然を回復させながら成長する経済)を実現することや、一人一人の行動・生活を変えていくことなどが基本戦略として挙げられています。生物多様性を保全する意義については他の解説に頼ることとしまして、ここでは、なぜネイチャーポジティブの実現のために、経済活動や人々の行動・生活まで変える必要があるのか。そして、それにむけて私たち一人一人は何ができるのかを考えてみたいと思います。

 

 まず、日本の生物多様性の現状を評価した報告書(JBO:Japan Biodiversity Outlook、3およびJBO4の中間報告)によると、開発や湖沼の富栄養化などによる生物多様性の損失は減少傾向であるものの、外来種や気候変動による生態系の危機が増大しているとされています。このため、日本には回復傾向に転じた生態系は存在せず、特に、里地里山の生態系が衰退傾向にあると指摘しています。

 里地里山は、農業や林業をし、燃料として薪炭を採り、狩猟により食料や毛皮を得るなど、人が継続的に利用することで生物多様性を創出・維持してきた場所です。人口減少、産業構造の変化による農林業の縮小、薪炭から石油へのエネルギー源のシフト、物流のグローバル化など、社会や人々の暮らしが変化した現代において、以前と同じように里地里山と密接に関わった生活はできません。だからこそ、里地里山の生物多様性を保全するためには、昔でもなく、現代の形でもない、新たな生活様式・社会経済構造が必要とされています。

 新たな生活様式や社会経済構造をつくる、と簡単に言いますが、これは非常に難しい課題です。開発や富栄養化などによる生物多様性への悪影響が抑制されてきた背景は、環境アセスメントの実施や環境基準の設定などの規則や技術開発を主とするトップダウン型の対策がありました。一方、これからの課題である新たな生活様式や社会経済構造の実現には、トップダウン型の対策だけでなく、事業者や一般市民を含めた全ての主体の参加、連携、協力、協同、行動が必要になるため、以前よりはるかに難しい対応が求められていると思います。

 

 では、ネイチャーポジティブを実現するため、私たち一人一人は何をしていけばよいのでしょうか。すぐに思いつくことは、里地里山を保全する活動に参加することでしょう。滋賀県内でも数多くの団体が、残存する里山を保全したり、管理放棄された里山を再生したりする活動を実施しています。私自身、仕事としてこのような活動に関わっていますが、日々の生活に追われ、プライベートとしては殆ど参加できていません。生物多様性の保全に関心があっても、同じような状況の方が大多数だと思います。継続できないことは、新たな生活様式とすることはできません。

 私たちが無理をせずできる最初の一歩は、地元を知ることだと思っています。吉岡ら2013によれば、滋賀県内で里山的な土地利用がされている場所は県土の73.3%。全国で6位、近畿で1位の面積率です。また、湖魚や水資源を利用してきた琵琶湖を“里海”と考えると、ほぼ全ての県民にとって、里地里山は徒歩圏内の身近な場所なのです。家の近所にはどんな自然があるのか、どんな作物を作っているのか、昔はどのような暮らしをしていたのか。住んでいる地域を知るため、休日には近所のあぜ道や湖岸を散歩する、地域のおじぃおばぁと話をする、図書館や博物館に行って郷土資料を読むなどは無理なく実現できる内容と思います。その上で、地元の農作物を購入する、ジビエや湖魚を食べるなど、ごく小さな一般的なことであっても、各個人が無理なく継続できることを積み重ねて生活に定着させることこそ、ネイチャーポジティブへ繋がっていくものと思っています。

 当センターで策定予定の第八期中期計画には、ネイチャーポジティブに関係したテーマが4題あり、その全てが生物多様性の見える化やネイチャーポジティブの指標化を目的の一つとしています。また、その他の研究・モニタリングについても、県内の自然の基礎情報を知るための、重要な調査です。研究者としても、ネイチャーポジティブの実現には知るところが第一歩。誰にでもわかりやすく見える化することで、新たな生活様式を考えるためのサポートができたらと考えています。

 

※吉岡ら (2013). 生物多様性評価に向けた土地利用類型と 「さとやま指数」 でみた日本の国土. 保全生態学研究, 18(2), 141-156.

   

総合解析部門 酒井 陽一郎