新旧センター長対談ー滋賀・琵琶湖環境とのあゆみ・・・そしてこれからー

 

 初代センター長として、持続可能な社会の実現に向けた研究では国内の先駆者として、卓越した実践でもって精力的に取り組んでこられた内藤正明先生。

 また、これまで環境工学の分野で基礎から応用まで多くの研究に取り組み、広く水質保全に貢献され、今年4月に2代目センター長に着任された津野洋先生。

 ともに滋賀・琵琶湖の環境問題に縁がある二人に、過去、そしてこれからについて存分に語っていただきました。

 新旧センター長写真

 

滋賀県・琵琶湖との縁のはじまり、そのきっかけ

 

司会 琵琶湖環境科学研究センターの前身の一つである衛生環境センター(現:衛生科学センター)は1977年、琵琶湖研究所は1982年にできています。ちょうど淡水赤潮など琵琶湖の環境についても問題が出てきた時期ですが、そのころの御二人は、琵琶湖にどのような関わりがありましたか。

 

内藤 その頃は全国的に公害が深刻化してきたころです。環境の現場の研究に放り込まれて、対策技術が専門でしたから、最初の現場は琵琶湖の流域下水道を作れというものでした。こんなでかい計画というのか、作らせてもらえるのかというのはすごく面白かったです。

 琵琶湖を取り巻くような巨大下水道を作るという構想そのものが、日本ではもちろん初めて。それがどういう問題を含んでいるのかということが、充分な議論がないままに作るとなったもんですから、地域住民の方の反対運動もおこりました。

 

司会 流域下水道が普及したことで、琵琶湖の水質が大きく変わってきました。

 

内藤 この流域下水道の仕事のあと、東京へ行きました。

 

津野 まず当時の環境庁の国立公害研究所の設立準備をされましたよね。

 私は、当時、活性汚泥法という下水処理技術をずっと研究していたこともあって、教授に「お前行け」と言われて、まず大阪府の流域下水道に関与しに行ったんです。

 その頃は公害対策基本法ができて下水道法の改正があり、流域下水道の整備が始まり、いよいよ動き出そうとした時だったけど、多くの人たちが「行政、ちゃんと公害なくすように動いてくれるのか」というような懐疑心があったんですね。

 

司会 まさに環境行政の黎明期ですね。

 

内藤 当時の仕事は個別の公害問題。大気汚染の問題とかいっぱいやりましたよ。政策に近いところの政策支援ですが。そういう意味ではセンターの研究の原点になっているかもしれません。

 環境行政をどう支援するかというような立場で研究をしていましたが、国環研ではどう支援したって何の力もない。だから、このセンターだったら、ひょっとしたら、滋賀県行政を支えて、研究が多少の影響を与えることができるのではと、期待があって引き受けさせてもらったというのはあります。

 

津野 私が、今の国立環境研究所に行ったのは昭和50年です。その後、琵琶湖に関わったのは、富栄養化の問題がいよいよ起こりかけていた時。石けん運動が始まる頃ぐらいだったんですけども、琵琶湖もだんだん厳しくなって、滋賀県が富栄養化の対応を始めたのがきっかけです。

 県からともかく作業があるので手伝ってくれと。何かあるとすぐ声がかかってきました。琵琶湖の水質にずっと関わって、県庁の若い方々とセンターの研究者とも知り合いになっていきました。

 

 

研究とは、研究者とは、研究機関とは

 

司会 内藤先生はセンターが出来た前後ぐらいから、再び滋賀県、琵琶湖に関わられるようになりました。

 

内藤 センターにと声をかけてもらってもそもそも水研究のプロでもないし、そんなものはとてもできませんと最初は、再三お断りしたんです。

結局、「1、2年。次の責任者が決まるまで場つなぎします」と言って引き受けたんですよね。まさか15年になるとは思わなかったけど(笑)。

 

 内藤前センター長

 

津野 それがよかったんですよ、結局(笑)。

 

内藤 センターで私が一生懸命させてもらったことがあるとしたら、ここの研究が行政の役に立つものであること。

 これは研究者にとってすごくいやなことです。自分はこれが専門だと言っても、違うことやらないと。採用の時に「わかりました」言わんと採用しなかったからね。気の毒やけど、こういう研究機関というのは珍しいと思う。

 

津野 私なんかは比較的、環境保全や改善の社会的課題に対してそれをどう解決したらいいのだと考えてしまいます。そういう方もいれば、自分のこういう科学的研究課題に対して解明するんだ、という方もいる。どっちがいいとかじゃなくて、全然違うと感じるのは確かですよね。

 

内藤 研究いうのは未知の科学的現象をとことん追求して新しいことを見つける。見つけてどうするんだと言えば、「そんなもんは知らん」と。「環境を良くするのは行政がやったらええんや」と。ここでそんなこと言えば色んなところから大ブーイングが来ますよ(笑)

 

津野 研究者同士は、もう少しシビアなとこもあるんですよ。

 昔、霞ケ浦のアオコの問題があるから、なんとかならんかって話が来て、じゃあ、調査に行こうっていうことになったんだけど。まず測定法で確かにそれで精度良く測定できるか詰めないと測定しちゃいかんと、そういうことが研究者同士で始まったんですよ。

 そんなこと言ってても、どんどん富栄養化問題の事態は進行する。進行していく方向だけでもいいから、掴まないといけないからということで、今、少なくとも測定法が決まっているのもあるので船を雇って我々だけで行ったんですよ。

 そしたら「なぜ先駆けて行くんだ」と。

 数か月言われましたけど、1年も経ったら、みんな船に乗るようになりましたけどね(笑)。

 純然たる化学や生物学等の理学系統の人もおれば、生態学をやる人もおれば、私みたいに工学系統の人もいて。みんなが船に乗りだしたら、もうしめたもんで、立場が違うけどお互い認め合うようになれば動きだすんですね。

 

 

気候変動への対応

 

司会 最近ですと、世界的に気候変動といった大きなテーマも出てきているところです。そのあたりはどのように思っていらっしゃいますか。

 

内藤 琵琶湖と温暖化の関係というのは微妙にないわけではないでしょうね。水温も上がってるんでしょう。

 

津野 上がってますね。

 

内藤 琵琶湖としては全層循環が象徴的。滋賀県全体としてはこんだけ暑かったらどうすんねんというのもあるけど、もうそれは世界中。

別に滋賀県だけやないんやから、世界で対応せんとどうにもしょうがない。滋賀県だけ頑張っても…というのも確か。

 

津野 脱炭素という方向性をね、それを否定するものではないので、それはやる必要がある。やはり脱炭素・低炭素の方向に、今、生活の質を落とさず、かつ、皆が幸福になるというような方向性があるならば、それを追求していくべきだと。環境保全・改善や物質循環にもつながります。

 

内藤 もちろん、そこは追求していくべきなんですよ。

 例えば東近江市でやっておられますが。自分らで何があっても最低限やっていける地域社会を作っとこうと。そういう生き方がひとつありますね。だけどそれは滋賀県中がそうなるかならんかというのは今後のことです。

 

司会 行政だけではできないです。

 

内藤 そりゃ出来ないです。もうこれは市民の選択ですからね。但し、演説したってそりゃあかんので、それがどんなものかというモデルがないとね。こういう社会ですよというのが。

 

津野 それは地域であってもいいだろうし、滋賀県全域でひとつパッケージができてもいいだろうと考えています。琵琶湖がありますからね。

 琵琶湖を中心にという滋賀県でいくと、地形的にも小さな地域でもやりうるし、滋賀県の中でも出来ないことではないと思っています。

 

津野現センター長

 

内藤 そうそう、琵琶湖をいかに活かすかにかかってる。

 

津野 そうそう、それをして議論した上でそれを進めていくというのが。どんな方向に行くかは別にして。

 もうひとつは、滋賀県には石けん運動の話があります。公害に対する退治の仕方が滋賀県は独特なんですよね。まず、自分たちができることはやるんだという歴史があるからね。

 そういう意味からいくと、もう少しその辺は違う方向があるんじゃないかなと。琵琶湖の水質というものが、あるいは琵琶湖のそのものの質、あるいは琵琶湖を活かす、あるいは琵琶湖から恩恵を受けるというところを皆がどういうふうに受け止めていくかというところを模索していくべきだという。あるいはそういうところを進めていく方向性があるんじゃないかなという気がしてますね。

 

最後に、今後のセンターに向けて

 

司会 最後に、今後のセンターへの想いをお話いただきたいと思います。

 

内藤 ひとつあるとすればね、辞める時の新聞記事のキャプションに「脱炭素社会に向け研究を」というのが出たんですけど。

 あれは、センターが主導的にやるかどうか言うてないんですよ。そういうものがあるやろなと言うたら書かれてしまったんですよ(笑)。

 今、現に県の計画づくりに関わってるんでしょ。

 

津野 だいぶ関わっています。

 素晴らしいチームが今出来ています。チームの彼らは彼らなりに新しい方向性を常に持ってます。だから、その中でぶつかりながら、さっき言うたように脱炭素が少しでもいけるような、さらに幸せというか、将来の夢を描けるようなところを突き詰めていって皆がやっていくというような方向性が出来ればいいんかなと。

 
センターの今後を語る二人

内藤 なるほど、とってもいい評価で言うたね。私もバトンタッチした者としてはとてもうれしい言葉ですよ。

 そういうことをやってくれている研究者が後ろに控えているので、滋賀県はすごく本当は心強いはずです。ただ県にとって、うれしいデータが出てくるかどうかは別ですけどね。「良薬口に苦し」いうこともあるから、それはちゃんと受け止めて考えはったらいいです。

 シンクタンクを抱えている県は日本中探したってなかなかないから。国もここのプロジェクトはすごい関心を持って見ていますのでね。だから、それぐらいのレベルであるということをよろしくお願いします。

 

津野 ただね、そういうシンクタンクを持っているから良い答えが出てくるだろうと、過大な期待をしてもらっては困るんですよ。それはしっかりと言わないかんなと思ってるんですけど。

 琵琶湖の方はね、温暖化になった、循環がおきないから手がつけられないというのではなくて、確かなデータの蓄積をすることが僕は大事だと思っているんですよ。それが一体何に役立つのかっていうんだけど、そうではなくて、それを蓄積していった先にね、どうなっていくのかっていうのが、的確にわかる。それが大事だと思ってるんです。