「あの服がほしい」とか「あの車がほしい」と思ったとき、私たちは、(お金と相談したうえでのことですが)、それらを手に入れることができます。しかし、「ごみ収集を週4回にしてほしい」と思っても、すぐにそうすることはできません。もちろん、ごみ収集が服や車を買うように自分だけの問題ではなくて、その町に住むすべての人に関係することだからです。
では、その町に住むすべての人が、ごみ収集を週4回にしようと思ったらそうなるでしょうか。すべての人が、そう考えたとしても、その町の町長や議会が週4回にすると決定しなければ、それは実現しません。
私たちは、自分たちがこうしたいと思うことを選挙で選んだ代表者の決定を通じて実現する、いわゆる、代議制(間接)民主主義の社会に生きています。民主主義の社会では、「自分たちのことは自分達で決める」ことが原則です。しかし、これほど大きな社会では、字義どおりすべてのことを直接に自分たちで決めることは、大へん難しいことですから、私たちは、代表者を通じて自分たちのことを決定するシステムをとっています。けれども、私たち自身が物事を決めるのでない以上、代表者が決定したことと、私達がこうしたいと考えていることとの間にギャップが生じる場合があるということは否定できません。昭和40年代に各地で起きた公害反対運動は、そのような・ギャップの存在をまざまざと示したものといえましょう。
それらの運動を通じて、選挙によって代表者をコントロールするだけでは、私たちの意思は十分反映されないという考えが急速に高まってきました。私たちの意思に基づいた決定を行うにはどうすればよいか、それが住民参加の問題であると考えられます。
現在の地方自治体の意思決定システムでは、私たちの意思は、選挙による代表の決定という形で表わされ、その代表である首長と代表で構成される議会が、そのコントロールの下にある行政の活動を通じて具体的な政策を決定し、実行する。その結果は、次の選挙で私たちによって評価されるというしくみになっています。住民参加は、そのシステムの起動力となっている私たちの意思を、代表を決定するという場面だけでなく(現在のシステムでも直接参政制度と呼ばれる参加の制度が組みこまれていますが)、システムの全場面で反映させ、あるいは、より強く反映させることを要求しているといえましょう。そのことが、住民投票による決定・行政の政策形成・執行過程への参加・コミュニティへの分権化やそれらを支える情報公開の制度化などの様々な方策として表明されているのだと考えられます。
環境問題は、私たちの生活を直接左右する問題であるだけに、その解決を図ろうとする環境政策の分野では、とりわけ住民参加が不可欠の要素となります。それゆえ、例えば環境アセスメント制度にみられるように、住民参加の制度化について環境政策が先導的な役割をはたすことになったと思われます。環境政策が、望ましい環境づくり、街づくりという私たちの主体的な参加を今まで以上に必要とする課題をその目標としてきた今日、政策の形成から執行に至る全過程で住民参加をどのように具体化していくかは、ますます重要な問題となってきています。
しかし、住民参加の視点からの意思決定システムの見直しは、まだ緒についたばかりであり、また、こうすればよいという明確な処方箋があるわけでもありません。「自分一人ぐらいが石けんを使っても、琵琶湖がきれいになるわけではない」というような自分の行為に対する無意味感、無力感を乗り越えてあの条例を結実させた住民の側の主体的で持続的な取組みがここでも住民参加を根づかせていくかどうかの鍵を握っているといえましょう。 |