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琵琶湖集水域地下水の研究
湖畔住民の生活変遷と琵琶湖像の解明
河川による物質流送に関する研究
琵琶湖研究所に期待する
●特集・琵琶湖のスジエビ
世界の湖3 オンタリオ湖(アメリカ・カナダ)
環境政策と住民参加
研究サロン




[特集・琵琶湖のスジエビ]
研究員 西野麻知子

 夏の夕方、湖辺で泳ぐともなく水に浸っていると、チクチク足に触れるものがあります。たいていの場合は、エビが餌と間違えてヒトの足をつついているのです。このエビとゴリ・イサザや豆のつくだ煮は、県民になじみの深いおかずのひとつです。琵琶湖には4種類のエビがいるとされていますが、実際に漁獲対象になっているのはスジエビとテナガエビの2種です。このうちスジエビが圧倒的に多く、それだけで年間約1,000トンの漁獲があります。1尾0.5グラムとして年間約20億尾が人間によって取り上げられていることになります。
 このスジエビは、琵琶湖ばかりでなく、サハリン・エトロフ島・北海道から屋久島まで至るところの湖・池・河川にみられます。最近ではもともと生息していなかった沖縄本島にまでいるそうですから、まさに日本の津々浦々に分布しているポピュラーな淡水エビといえます。最近この3〜5cmの小さなエビについて、面白いことがわかってきました。               スジエビの抱卵雌

琵琶湖産の卵は小さい
 まず卵の話から始めましょう。スジエビの雌は交尾後、自らの腹部に産卵し、その状態で卵がふ化するまで保護します(写真)。北梅道から鹿児島までの抱卵スジエビを採集して、その卵の容積をしらべたところ図1のようになりました。琵琶湖のスジエビの卵が一番小さく、最大の阿寒湖産の卵の7分の1の大きさしかありません。琵琶湖をのぞけば、南から北へいくにつれ大きくなる傾向がみられます。また 近接した産地の卵の大きさは互いに似ているのに、琵琶湖と同じくらいの大きさの卵をもつスジエビは下流の淀川を含めてどこにも見あたりません。
 雌1ぴきあたりの抱卵数はどうでしょうか?抱卵数は同じ産地でも小さい雌ぼど少なく、大きい雌ほど多くなるので、同じ体重1グラムの雌の抱卵数(相対抱卵数)を比較してみました(図2)。卵容積と相対抱卵数との間にはみごとな反比例関係がみられます。つまりスジエビという種の中では、体の大きさの等しい雌なら総卵量は ほぼ同じで、ある場所では相対抱卵数を犠牲にして卵を大きくし、ベつの場所では逆に卵の大きさを犠牲にして相対抱卵数を多くするというように、それぞれの産地ごとに卵の大きさと数とに対する繁殖物質の配分のしかたが違っていることがわかります。琵琶湖のスジエビは、著しく小さい卵でかつ相対抱卵数が著しく多いというわけです。
 ただし、それぞれの産地で抱卵雌の大きさはまちまちですし、また同じ産地でも雌の大きさにより抱卵数が変わってくるわげですから、実際にその産地で実現している雌1ぴきあたりの平均抱卵数は、当然相対抱卵数とは異なっているはずです。琵琶湖の周辺と似た気候の地域のなかで抱卵雌の大きさを比べてみますと、琵琶湖の抱卵雌はかなり小さい部類に入ります。平均抱卵数はどの産地でも100〜400前後で、とびぬけて多かったり少なかったりするところはみあたりません。つまり琵琶湖では抱卵雌が小さいために平均抱卵数は300前後となり他の産地と肩を並べてしまうのです。

>>図1 各産地のスジエビの平均卵容積

>>図2 各産地のスジエビの平均 卵容積と平均相対抱卵数の関係

卵のもつ意味
 卵が小さいということは何を意味するでしょうか。考えられることは、卵の材料が少ないために小さくて弱い子が生まれるだろうということです。確かに実験室では、同一条件で餌が充分ある状態でも、琵琶湖のスジエビ幼生は他の産地の幼生より小さく、かつ死亡率が少し高いという結果が得られています。琵琶湖のスジエビは小さく虚弱な幼生を産んでいるわけです。
 一方、抱卵数が多いということは何を意昧するでしょうか。抱卵数は親が産み出す子の数そのものです。親が子を産むこと、それはまさに自らの分身を世代を超えて生き延びさせようとする行為にほかなりません。だから産んだ子の数がいくら多くても、その子たちが一人前になるまで生き残れなければ、親の努力は水の泡になってしまいます。次世代に繁殖可能な子の数が最大になるように卵の大きさと抱卵数を決めることが、親にとっては最も効率のよい卵の産み方になるはずです。卵の大きさと抱卵数との関係は、いわば質と量との間のバランス関係で、ありうる組み合わせの中で、子孫の繁栄に最も都合のよい卵の大きさ・抱卵数がそれぞれの産地で実現しているはずです。

生活史の特異性
 そういう考え方に従って琵琶湖のスジエビがもつ特性の意味を考えてみる前に、かれらの卵が小さくなったのは本当に琵琶湖においてであったのかどうかを検討する必要があります。いまのところ、このような性質のスジエビがよそから入ってきたという証拠はありません。それどころか、下流の淀川 にはより大きい卵のスジエビがすんでおり、それらは瀬田川や疎水をとおっていつでも琵琶湖に入りこめるにもかかわらず、琵琶湖には淀川と同じタイプのものはいないのです。他の状況も考え合わせると、かれらは琵琶湖でこういう卵サイズを獲得したと考えざるを得ません。
図3 模式的に描いた琵琶湖のスジエビの生活史(原田、1966を改変)。生息場所は1→7の順にかわる。
 今度はふ化した後の琵琶湖のスジエビの生活史を考えてみることにします(図3)。夏の間にふ化した体長2mmくらいのゾエア幼生は、プランクトン生活をおくります。幼生期の初期と晩期は岸近くで、それ以外の時期は沖帯の水温躍層付近(水温20℃前後)で過ごします。1ケ月ほどすると体長1cmくらいの椎エビに変態し、水深10m前後の底に着底して親と同じ底生生活に人ります。その後、岸近くの水草帯でしばらく過ごした後、9〜10月にあたたかい岸近く(水温20〜30℃)から50m以深の底(水温は1年中6〜8℃)ヘ徐々に移動をはじめます。冬の間は深い底で過ごし、春先また岸近くへ移動し、6〜9月まで産卵して、大部分はその年に死んでしまうといわれています。
 岸近くの水温がまだ充分高く、したがって餌も豊富で成長もはやい9〜10月に、かれらがなぜ好んで冷たい深み(深水層)へ移動するのか、その理由はいまだにわかっていません。しかし結果的に、かれらは幼生期およびそれに続く稚エビ期をつうじて、慢性的に低水温で生活していることになります。低水温に長期間さらされることは、スジエビのような変温動物にとっては必然的に成長の遅れをひき起こし、ひいては成熱時の大きさも小さくなるはずです。実際、琵琶湖の抱卵雌の大きさがかなり小さいことは、さきに述べたとおりです。抱卵雌が小さいと、当然抱卵数も少なくなります。間題はどうもこのあたりにありそうだと思えます。
 一方、下流の淀川や他の地域ではどうでしょうか。話を琵琶湖の周辺と似た気候の地域に限定すると、まず、深い湖は存在しません。湖はあっても宍道湖のように浅い湖で、どこにも夏に水温躍層ができるような湖はなく、当然深水層もありません。従ってどこのスジエビも、年間で最も水温の高い6〜9月に低い温度を経験することはないわけです。琵琶湖のものと同じような生活史をもつスジエビはいないと考えていいでしょう。

分化しつつあるスジエビ
 琵琶湖のスジエビの著しく多い相対抱卵数は、その特異な生活史のゆえに体が小形化したことの補償として実現したとは考えられないでしょうか。ただし、それが実現するためには、卵が小さくなっても琵琶湖にいる限りあまり不利益がないという前提が必要です。
 ここに面白いデータがあります。それは、幼生を表面付近(28℃)と水温躍層付近(21℃)の2つの温度条件で飼育した結果です。28℃での幼生の死亡率は、幼生期の初期と晩期で低く、逆に21℃では中期に低いのです。これに琵琶湖での幼生の分布の時期的変化を重ね合わせますと、幼生の死亡率はかなり低くなり、大きい卵をもつ産地での死亡率(温度による差はほとんどない)とあまり差がなくなるのです。もしそうならば、卵が小さくても全体としては琵琶湖でうまくやっているということになります。
 このように琵琶湖のスジエビは、明らかに他の地域とは異なった独自の生活史を展開しており、このことは、かれらが琵琶湖で新しい種へと現在分化しつつあることを意味していると考えられます。あと何千年、あるいは何万年か後には、「ビワエビ」という固有種ができ上がっているかもしれないと思えば、なかなか愉快ではありませんか。


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